『みすず学苑』
学苑長半田晴久先生が産経新聞に連載(毎週木曜日)している記事を紹介いたします。

vol.16 教育の実像4 2003年6月12日 産経新聞より

 
記事をテキストでも紹介いたします。

教育の実像4

創造性は真の“和魂漢洋才”の学問から

 前回も書いた、ゆとりの教育では、遠山大臣が教育現場の問題解決のために打ち出す改革案の多くは賛成できます。しかし、文部科学省の「ゆとりある生活からこそ真の創造性が生まれる」との考え方には、二つの理由で賛成しかねます。

 学校教育をどんなに変えても、日本の社会習慣が変革できない限り、真に創造性を発揮する人材が、多く生まれてくるとは思えないこと。もう一点は、創造性は、教育の第一義に置くほど大切なものなのか、という疑問があるからです。

 一般に家庭では、「友達と仲良く、協調性をもって、変人扱いされないように」と教育します。その背景に、学校でも、社会でも、チームワークや協調性を尊重し、和を乱す変わり者は、疎外や軽蔑される−という社会環境が存在します。
 欧米は、まったく反対で、「人と違うことを考え、違うことをしなさい。友達の考えと君の考えはどこがどう違うのか。自分の意見をはっきりと持ち、それを実行しなさい」と子供を育てます。

 学校も社会も、創造的な考え方や異なったキャラクターを面白がり、独自な才能ある者を評価し、尊重します。その素地があって、創造的な人間が輩出されるのです。

 「世界の小沢征爾」は、日本では変わり者扱いされてつぶされ、アメリカで才能・個性を愛され大成しました。世界の小沢は、学校のゆとりの教育で真の創造性を発揮した結果、誕生したのでなく、日本で普通のつめこみ教育を受け、家庭の影響と個性を大切にするアメリカ社会が育てた、ともいえます。

 また中国の「日本人は一人一人は虫だが、十人集まると龍になる。中国人は一人一人は龍だが、十人集まると虫になる」との評し方は、まさに言い得て妙な例えです。

 文科省は、社会の慣習や風土をそのままに、学力を下げてまで、ゆとりのある生活を子供に与えることだけで、小沢征爾のような世界に認められる創造性や個性を、この日本で育てられると思っているのだろうか。

 私は、吉田松陰や福沢諭吉の言を待つまでもなく、文系的な真の学問の力なき者が、世界の舞台で、創造性や個性を発揮できるはずがない。そして、自国の文化や国を愛する真の和魂漢洋才の学問こそが、日本人らしい創造性を生み出す、と確信している一人です。

みすず学苑 半田晴久

産経新聞
2003年6月12日

 

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