『みすず学苑』
学苑長半田晴久先生が産経新聞に連載(毎週木曜日)している記事を紹介いたします。

vol.2 受験地獄2 2003年3月6日 産経新聞より

 
記事をテキストでも紹介いたします。

受験地獄2

高い目標に向かう“苦”は挑戦の醍醐味

 

 前回、受験地獄はあるのか、と書きました。

 受験を地獄の責め苦のように感じるのは、周囲の環境のどこかに問題があり、受験生が明るく積極的に受験を受け止められないことによるものです。それと、問題を針小棒大に報道するマスコミの影響も見逃せないでしよう。

 そのことは、外国と比較すればよくわかります。

 ヨーロッパ各国では、日本のような受験競争はあまり存在しません。そのことは、杜会構造ががっちりと固定されていることを物語っています。イギリスでもフランスでも、厳然とした門閥制度が存在し、有名校への進学者はひと握りの名家の子供に限られています。名家でない人が努力を重ねてオックスフォードやケンブリッジを卒業したところで、東大や京大を卒業した日本のケースとは異なり、「杜会に出てから大きなハンディがある」といわれています。

 日本は伝統的に、中国の科挙制度(隋・唐時代の官史登用試験)に似た慣行が存続していて、家柄にかかわらず、一流大学を卒業すればすべての人にチャンスが与えられます。これは、きわめて民主的で開かれた社会であるといえるようです。

 このことは、友人のイギリス人が指摘したことです。

 この恵まれた慣習を、積極的に活用しない手はありません。子供たちは、自分の可能性を大いに生かすために、敢然と受験にトライすべきでしょう。

 要は考え方しだい。常に目標を持って前向きに取り組めば、「受験地獄」という言葉は、人間の心の中にあって、現実に存在しないことが理解できるはずです。

 もし競争杜会や過当競争が地獄なら、門閥政治を廃し、有能な人材を登用するために、万人に開かれた科挙制度は、七世紀から二十世紀初頭まで、千三百年以上も地獄をつくり続けたことになります。

 もっと端的に言えば、志望校の目標を下げれぱ受験は楽だし、目標が高ければ、それだけ苦しいのは当然です。しかし、この苦しみを越えたときに約束される可能性は、他人がうらやむほどのものなのです。だから、受験生に言いたい。

 「高い目標をもって積極的に挑むときの苦は、決して地獄ではなく、生きがいとやりがいに燃える、チャレンジの醍醐味なのだと…」

 

みすず学苑 半田晴久
2003年3月6日 産経新聞

 

 

 友人の宮本君勧められて、この記事に対する感想を以下に紹介いたします。私の名前はK(イニシャルでお許し下さい)です。2年前、宮本君とお互いに勉学をしのぎあった仲です。

感想

「高い目標を持って積極的に挑むときの苦は、決して地獄ではなく、生きがいとやりがいに燃えるチャレンジの醍醐味なのだと…」。この半田学苑長の言葉を、ひとりでも多くの受験生に知ってほしい。受験を乗り越えた者にとって、これほど「真実」を実感する言葉はありません。努力の苦しみが、努力の楽しみ、努力の喜びに変わる瞬間がある。それは、徹底的にチャレンジし、困難に真っ向から立ち向かったときにしか得られない、人生の醍醐味なんです。受験を通して得られたモノ。それは、まさに学苑長がおっしゃった「挑戦の醍醐味」というものでした。

  みすず学苑に入学した当初の私は、まったくの「のび太クン状態」でした。「学苑から帰って2時間は机に向かう」という目標を立てても、しばらく参考書を読んでると眠ってしまう…。そんな毎日です。しかし、みすず学苑の講師陣は、本当に懇切丁寧に私の相手をしてくれました。「わかれば楽しい」。この状態になってしまえば、あとは楽なんです。あんなに苦手だった数学も、受験期の最後のほうでは「6時間くらい机に座っている」こともまったく苦でなくなりました。同じ問題集を5回も繰り返したことを思うと、自分の成長を褒めてやりたくなります。高校のころは「証明って何?帰納法なんてチンプンカンプンだよ」とうんざりしていましたが、やり続けていると「帰納法ってすごい!おもしろい!」って感覚に変わるんです。受験当初は「大学なんてどこでもいいや」と半ばあきらめていた私も、このころから目標が高くなってきました。「勉強って楽しいな。毎日10時間も座って数学の問題解いていられるなんて、なんて幸せなんだろう」。この感覚ってすごいでしょ(笑)。そんな毎日を送った結果、晴れて「慶応大学」に合格しました。私にとって、受験勉強はまさに「チャレンジの醍醐味」でした。学苑長の言った「受験の醍醐味」というものを、私だけでなく、ぜひみなさんにも体験してもらいたいと思います。がんばれ受験生!

 
 

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