『みすず学苑』
学苑長半田晴久先生が産経新聞に連載(毎週木曜日)している記事を紹介いたします。

vol.7 理想の先生1 2003年4月10日 産経新聞

 
記事をテキストでも紹介いたします。

理想の先生1

愛情と情熱だけでは育てられない

 

 前回は、公立学校の問題点を指摘しました。では良い先生とは、どのような先生を指しているのでしょうか。私は、自分が生徒として教わった体験、予備校の学苑長としての経験から、先生を大きくAからDまで四つのクラスに区分しています。

 Aクラスは、「教える技術」と教育についての理念や情熱を併せ持つ最上級の先生です。残念ながら、こうした素晴らしい先生はなかなか見当たりません。ちなみに私がいう「教える技術」とは、子供たちに、授業内容を理解させるだけでなく、勉強そのものに興昧を抱かせる技術という意味も含みます。

 Bクラスの先生は、教える技術は素晴らしいが、生徒に対する愛情や情熱という面で、もの足りなさを感じるクールな職人タイプ。

 Cクラスは教える技術は今ひとつだが、愛情とやる気だけは誰にも負けないという先生です。テレビドラマの学園ものに豊場する熱血タイプの先生を想像すればいいでしょう。

 Dクラスは、教える技術も情熱も持ち合わせていない先生たちです。

 私は、子供に必要な先生はBクラスまで、と思っています。素直に言わせてもらえば、CとDに属する人は、教師としては失格だと考えているのです。こういうと、愛情と情熱にあふれた、Cクラスの先生がなぜ失格なのか。教える技術よりも、教育に対する情熱や愛情の方が大切なのではないか、と反発を感じる人もいるかもしれません。

 もちろん、私も愛情と情熱を持って物事に取り組むことの大切さは、十分に理解しています。それでもあえて「愛情と情熱だけでは子供は育てられない」と言いたいのです。教師の本分は、分かりやすく勉強を教え、そのことを通して、子供たちの学力、物を者を見る目や心を見開かせることです。いくら愛情と情熱があっても、教える技術がなければ、その本分は全うされません。

 つけ加えれば、そうした先生の愛情や情熱が本物ならば、子供たちをその学科に興味を持たせ、自分でひとり歩きして勉強するように仕向けるべく、教え方を工夫、研究すべきです。まずは難解なものでも理解しやすく、そして、その学科が好きになるように、教え方を磨くのが本筋です。技術が伴っていないのは、本分を忘れた怠慢教師である、としか言いようがありません。


みすず学苑 半田晴久

産経新聞
2003年4月10日

 
今回も宮本の感想となっております。

感想

 受験数学の世界では、「細野まさひろ」さんのシリーズが圧倒的な人気です。私もこの本のおかげで数学が好きになりました。なぜこの本が生徒に人気があるのか。それは、受験数学の精髄が体系的に、読みやすく、かつ面白くちりばめられているからです。

 しかし、読みやすいだけでは、これほどのベストセラーにはならなかったでしょう。やはりその内容が東京大学・京都大学など、難関校受験に即通用するレベルのものだったからこそ、圧倒的な人気を勝ち得たのです。

 一方、これまでの難関校受験の問題集といえば、難解な表現が多かったり、無味乾燥なデザインが多かったりと、生徒に敬遠されるものが大多数でした。また、読みやすいものは受験にまったく役に立たないような「中身の薄い本」ばかりでした。この本はその常識を打ち破ったのです。「読みやすくて」「レベルが高い」。だからこそ人気が出た。それはひとえに細野さんの情熱と研究の成果といえるのではないでしょうか。

 半田晴久学苑長の言葉は、ある意味先生たちにとって非常に厳しい言葉なのかもしれません。私がかつて受講したある予備校の授業は、面白いけれども「まったく役に立たないものばかり」でした。そのとき思ったのです。「こんなの生徒を騙してるのに等しいんじゃないか。あぁ、やっぱり中身がほしいな」と。だから、細野さんの本に出会ったときは、本気で感動しました。

 中身もあって面白い。みすず学苑の講義も、この理想にかなり近いものでした。受験世界でがんばっている先生たちには、生徒のために、ぜひとも本物の実力を培ってほしいと思っています。

 
 

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